私が保険の仕事に携わる理由
2023/01/26
お子さんと紅葉狩りをしているS・Cさん
「自分の経験から、ご納得がいただけないような無理な提案はいたしませんので、ご安心くださいね」
私は初めてお会いするお客様には、必ずこのようなお話をさせていただきます。
その理由は、乳がんを患った母の姿と、母に寄り添った父の姿を見てきたからです。
私が中学生の頃、母は乳がんを発症しました。
"がん"と聞いて不安を感じましたが、軽度のがんで
一部を切除して終わったのです。
当時は『5年生存率』という言葉があり、
これから先、5年間再発しなければ心配はないと言われていました。
術後の状況は問題なく、
過去の出来事として時間だけが過ぎ去っていきました。
それから私は就職し、
すでに社会人となっていた兄とともに両親の子育てはひと段落。
50代となっていた両親は、
これからは自分たちのために時間とお金を使っていこうと家計を見直し、
ガン保険を含め、不要な保険は全て解約したのです。
さらに片田舎な実家から老後の生活を考慮し、
便利な駅前のマンション購入も検討を始めました。
マンションの手付金を納め、新生活に心躍らせていたその矢先の出来事でした。
母のがんが再発。
それもかなり進行した状態で発見され、
胸の全てを切除しなければならない状況だったのです。
母の容体と今後の金銭面を心配した父は、新居の購入を断念しました。
そんな中でもいつも弱音を吐かない母ですが、辛い治療は5年を経過しても続いたのです。
マンションの購入をあきらめたことで、家計がひっ迫するほどではありませんでしたが、
がん保険を解約してしまっていたため、大きな治療費は掛かり続けていました。
辛い治療に加えて、自分たちが楽しむためのお金が減り、自由の利かない生活に、
両親がポツリと「疲れちゃったね」とこぼしたのです。
「もし、あのときがん保険を解約していなければ」
あるとき父と晩酌をしていると、そんなことをつぶやいていました。
身体は弱ったとしても、お金の心配をすることはなかったはず。
そんな想いもあり、治療開始から10年が経過して
介護認定されるまでに衰弱した母をサポートするため、
時間の融通が利き、さらに保険の知識を学べるある保険会社へと転職しました。
要介護認定を受けてから半年後、母は他界しました。
葬式の場には、あまりにも小さく感じてしまった父の姿があったのです。
もちろん、私が母のがんを治せたわけではありませんが、
もしあの時、保険や金融に関する知識が家族の誰かにあればと悔やむことがあります。
だからこそ、お客様にとって本当に必要な保険は何かを突き詰め、
この話と共に、お客様それぞれにとって最適な提案ができるようにと心に決めています。
より多くの商品や知識を吸収するため、
外資系の保険会社に所属したり、様々な保険を取り扱う保険代理店でも働きました。
その経験を活かし、現在は日本財託に所属して、
オーナー様を中心としたお客様へ保険のご紹介をしています。
不動産投資の家賃収入は、老後の生活の資金源として有効なものですが、
老後の生活は健康あってこそ。
万が一の備えとして、保険を検討することは欠かせません。
がんを含め一度発症すると、新たに保険に加入することは難しくなってしまいます。
ひとりでも多くのお客様が悲しい思いをすることなく安心して生活できるよう、
これからもお客様に最適な保険をご提案していきたいと思っています。
日本財託 生命保険事業部 S・C
◆ スタッフプロフィール ◆
埼玉県さいたま市出身。
生命保険事業部に所属し、オーナー様を中心としたお客様に保険のご提案をしたり、契約の事務などを担当しています。
育児の半面、運動不足が加速しています。
今年はホットヨガを再開し、体力向上とともに気持ちに余裕をもって生活していきたいと思っています。