話好きな祖父の自叙伝
2023/03/16
大好きなおじいさんとN・Tさん
私の手元には、祖父の自叙伝があります。
先月、私をはじめ皆に愛された祖父は、天国に旅立ちました。
生前の祖父は多くの方の悩みに向き合い、さまざまな相談ごとに乗っていました。
人の話を聞くだけでなく、大の話好きだった祖父は、
初孫だった私をかわいがってくれて昔話をたくさん聞かせてくれました。
私も小さなころから祖父の話を聞くのが大好きで、
祖父の家へ遊びに行くのが楽しみで仕方ありませんでした。
私が中学生のころに、仕事を引退した祖父は、
祖母とともに故郷の田舎へ隠居することを決めました。
車で数時間の距離ではありますが、
毎週のように会っていた祖父と離れることを想像していなかった私は
心の底からさみしくなったことを覚えています。
会う機会が減ってしまったからこそ、
なおのこと、会った時には時間を忘れて話し続けました。
祖父は、本心で悩みを打ち明けられる存在でもありました。
大学入試がうまくいかず、浪人生活となった時には
勉強に身が入らない私の愚痴を、嫌な顔せず耳を傾けてくれたのです。
そのおかげで、気持ちをリセットすることができ、
なんとか勉強を続けることができました。
2019年の年末、祖母が他界しました。
それに追い打ちをかけるように、2020年の4月には緊急事態宣言が発令。
長年連れ添った祖母に先立たれ、さらにはコロナ禍で簡単に会うことができず、
電話越しに「さみしいよ」と話す祖父に胸が締め付けられます。
私自身も、いつになったら会えるのかわからない状況に
ことあるごとに祖父に電話をかけ続け、話すようにしていました。
そんな折、私に第1子が誕生。
感染対策をしたうえで祖父に会いに行き、ひ孫を抱いてもらいました。
その時の笑顔は忘れもしません。
しかし90歳を超え、だんだんと衰えてきた祖父は、
昨年の夏ごろ、介護施設に入居することとなりました。
毎月、父やおじさんと一緒に、交代でお見舞いをしてきたのですが、
2月の半ばに危篤の連絡がありました。
休みだった私は家族とともに、すぐに祖父のもとへ急行。
15人以上もの親族が施設に集まり、
特例で私は目を閉じている祖父と会うことができました。
その日は持ちこたえたものの、その3日後に容体は急変、帰らぬ人となりました。
葬式が終わったのち、祖父の遺体は大学病院へと移送されました。
「死んでも人の役に立ちたい」という祖父の希望で、
遺体は検体として病院に運ばれたのです。
最期まで、どんな状況でも誰かのためになることを優先する
祖父らしい選択だなと、誇らしい気持ちにもなりました。
そして「死ぬまでは誰にも見せない」と語っていた自叙伝が手元に届きました。
とはいえ、まだ大好きな祖父と別れてから1か月ほどで、
気持ちの整理がついておらず、読むことができていません。
ただ、きっとそこには、大好きな祖父の話が詰まっているはずです。
仕事の繁忙期を終え、時間に余裕が生まれたら、
また昔のように時間を忘れて、祖父の昔話に浸りたいと思います。
日本財託管理サービス 管理部業務課 N・T
◆ スタッフプロフィール ◆
千葉県千葉市出身の32歳。
管理部業務課に所属し退去時の内装工事提案、工程管理、退去者への請求督促業務等を行っております。
2歳になった息子の世話は、仕事の日は妻に任せっきりになってしまっているため、休みの日は手探りながらもご飯やお風呂、寝かしつけなどを頑張っています。