憧れだった"日本の高校生"
2023/06/01
ご家族と記念撮影をするF・Mさん
父親の海外勤務が多かったこともあり、
私はタイのバンコクで生まれ育ちました。
日本での暮らしが始まったのは、高校1年生の15歳のときです。
ゆかりあるバンコクですが、小学生の当時は、
バンコクで生まれたことに引け目を感じていた気がします。
言語という大きな壁を感じていましたし、
日本のテレビドラマでみる華やかな街並みと当時のバンコクでの生活を比べると、
やはり東京での生活、ファッションに強い憧れを抱いていました。
「両親が日本人なのに、どうしてわたしは日本ではなくタイで生まれたの?」
もどかしさから、そんな疑問を母にぶつけてしまったことさえありました。
いよいよ気持ちが抑えられなくなり、高校進学とともに家族と離れて、
日本で暮らす祖母の家に移り、日本の公立高校に通うことにしました。
憧れのセーラー服を身にまとい、吹奏楽部に入部。
部活に励む日本での高校生活は、まさに私が長年夢みてきたものでした。
しかし、慣れない日本での生活は想像していた以上に大変で
たくさんの壁にぶつかったのです。
早起きをして朝食を自分で準備して通学。
帰宅後は試験のための勉強に没頭。
バンコクではバス通学しか経験したことがなく、
自転車で道路を走ることに慣れることすらひと苦労。
高校までは15分ほどの距離でしたが、安全な道を通るために、
わざわざ1時間前に出て遠回りをしていました。
念願だった吹奏楽部も、経験者ばかりの部員と比べて、
最初はついていくことに必死で、
帰宅後はそのままベッドに突っ伏してしまうほどへとへとでした。
思い返せば、タイでの生活は、
ごはんや家事全般を母が文句ひとつ言わず一人でやってくれていました。
幸せなことに、ピアノや英会話、水泳など習い事にも通わせてもらっており、
できないことに正面からぶつかる機会も年々少なくなっていたように思います。
日本の高校に進学するという目標をもって、受験勉強に専念できたことも、
自分の力だけではなく、両親が築いてくれた家庭環境があってこそのことだったのだと
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
念願だった、日本での高校生活のはじまりは、
たくさんの壁に直面し想像していたものとは大きく違っていましたが、
人生における大事なことに気づかせてくれました。
現在は両親ともに帰国し兵庫にいますが、なかなか帰省ができておらず、
コロナの影響もあり、年に2回ほどしか会えていません。
ただ、その代わりに家族と定期的にビデオ通話をする機会が増え、
最近は仕事の話も聞いてもらっています。
先日の母の日は、兄弟3人それぞれからプレゼントを贈りました。
父の日はまだ決まっていませんが、喜んでもらえるプレゼントを用意したいと思っています。
社会人になり、余裕が少しずつ出てきた今、
改めて両親に感謝を伝えられるような機会を作っていきたいです。
そのためにも、まずは日々の仕事を頑張っていきたいと思います。
日本財託インサイドセールス部ISチーム
F・M
◆ スタッフプロフィール ◆
タイ・バンコク出身。
インサイドセールス部ISチームで、主に不動産投資に興味を持たれたお客様にイベントやキャンペーンの企画・開催し、コンサルタントへとつなぐサポートをしています
最近、週に一度のピアノのレッスンを再開しました。15歳まで続けていたのですが、日本への帰国と同時に辞めてしまったので、また始めることができて嬉しいです。仕事のよい気分転換になっています。