苦手だった祖父からの学び
2023/06/08
職場の同僚と食事を楽しむF・Sさん
小さな頃、私は祖父のことが苦手でした。
もともとの昔気質な性格に加え、田舎特有の強い口調も相まって
怖いイメージがあったからです。
「おばあちゃんっ子」だったので、祖父の家にはよく行っていましたが、
祖父が仕事を終えて帰ってくる時には、寝たフリをしてやり過ごすこともあったほどです。
祖母はそんな私を見て「さっきまで遊んでいたのにねぇ」といつも笑いを堪えながら
祖父のご飯の支度をしていたのを覚えています。
とはいえ、年を重ねて大学生にもなると苦手意識も次第に薄くなり、
それに比例して話す機会もだんだんと多くなっていきました。
いままであまり聞いたことのなかった祖父のことについて、
印象に残っているのは「仕事」の話です。
祖父は町議会議員や町長をしていた時期がありましたが、当時は学校行事などで前に出てくるのが
恥ずかしく、これまで仕事の話をほとんど聞いたことがありません。
「町長の仕事って何してたの?」
そう聞くと、祖父は少し考えてから教えてくれました。
「一番大きな仕事は自分が思っている理想の町の姿を思い描くこと。
町民にどんな生活をしていてほしいか、何を思いながら暮らしてほしいかをイメージする。
その次に描いた理想をどうやったら実現できるのかを考えるんだ。」
住民の先頭に立って仕事をする町長という役割は
大変ながらもとても楽しかったとのことです。
自分がやってきた仕事に対して、誇らしげに自信をもって話す祖父の姿は
これまで見たことがなく、非常に印象的でした。
「誰かの下で仕事をしていくより、どんなに小さな組織でも自分で引っ張ってやっていく仕事は面白いぞ。」
そう私にアドバイスをしてくれたのです。
この言葉にはハッとさせられました。
当時、就職活動中だった私は特に考えずに
周りの友人と同様、大手企業や銀行、証券会社への入社を志望していました。
ただ、会社の組織が大きくなればなるほど、若いうちの裁量は小さくなる傾向にあります。
(自分はそれでもいいのか...?いや、自分も祖父のように意義とやりがいをもって仕事をしていきたい)
祖父とのやり取りの後、そう強く感じた私は、
これまでとは打って変わって、会社の規模に関わらず企業説明会に参加するようになりました。
それが縁となり今、日本財託で充実した毎日を過ごしています。
振り返って考えると、祖父は私の気質を見抜いて助言を与えたのかもしれません。
そう思うと、祖父の強い口調はあくまで表面に過ぎず、相手のことをよく見て、
その人のためになる言葉を伝えられる
愛情や思いやりにあふれた人なんだと思います。
自分のために、採用してくれた会社のために、
そして背中を押してくれた祖父に応えるためにも精一杯働いていきたいです。
そしていつかは自分が背中を押してあげる側に回れたらと思います。
日本財託管理サービス管理受託部
F・S
◆ スタッフプロフィール ◆
静岡県出身の23歳。
管理受託部に所属し、主に賃貸管理の移管営業を担当しています。
猫が大好きで、お風呂上がりに猫の動画を見ることで日々の活力を補充しています。