偉大な父から受け継ぐ大黒柱の矜持
2024/11/14
地方のゆるキャラと記念撮影するM・Mさん
父は男手一つで、私と5歳年下の弟を育ててくれました。
父子家庭になったのは私が6歳のころです。
看護師として忙しく働いていたこともあり、
父の帰宅は遅いときには22時を越えることもありました。
そのため、小さいころから父が帰ってくるまで
私も弟の面倒を見ながら生活をしてきたのです。
父がスポーツマンだったこともあり、
小学生のころから野球をやらせてもらいました。
中学では野球部にも所属し、土日も練習がありましたが、
土曜も働く父に代わって、部活の前に弟を学童保育に連れていき、
帰りに迎えに行くことが私の役目の一つだったのです。
とはいえ、高校に進学すると
野球部の練習は毎日夜遅くまでかかります。
すると、まだ小学生の弟に
毎日長時間のお留守番をしてもらうことになってしまいます。
さらに野球を続けるにはお金もかかります。
野球は続けたかったのですが、
時間の融通が利く別の部活へ早々に転部をすることにしました。
そのことを父に報告すると、
「ごめんな」と謝られたのです。
仕事が忙しく、試合を見に来られることはほとんどありませんでしたが、
中学の頃の父母のつながりで、父が私の活躍を耳にして喜んでいたということを
友人や友人の親御さんから聞いていました。
おそらく父は私に満足のいくまで野球を続けてもらいたかったのでしょう。
ただ、その選択を私にさせてしまった悔しさから謝ったのだと。
高校卒業と同時に社会人となった私は、
仕事の忙しさはもちろん、仕事終わりの付き合いも増えていきました。
学生の時からガラッと生活環境が変わった私を心配してか
父はことあるごとに「大丈夫か?」と声をかけてくれました。
私は初めての職場で、良好な人間関係を築きつつ、
仕事に対しても一生懸命取り組みたいという想いから
帰宅時間がどうしても遅くなってしまいます。
そのため、意見の食い違いから
父との口論が増えてしまったのです。
ただ、心配してくれている父の気持ちも理解できました。
そしてなにより働き始めて自分のことで精一杯な私と
幼い兄弟を育てながら働き続けてきた父を比較すると、
その偉大さを肌で感じ、それまで以上に感謝と尊敬の念を抱くようになりました。
そんな私も結婚し、子供が生まれ家族を守る立場となりました。
家族のことを考えると、
父は私たち兄弟を想う気持ちだけで頑張ってきたことを痛感しました。
それからはどんなに仕事が大変でくじけそうになっても、
私たちを育て切った父と同じように
自分に活を入れて乗り越えてきました。
男同士で、込み入った話をすることは照れ臭くてなかなかできませんが、
父のように偉大な大黒柱になれるように頑張っていきたいと思います。
日本財託管理サービス ソリューション事業部オーナーコンサルティング課 M・M
◆ スタッフプロフィール ◆
千葉県流山市出身の25歳。
ソリューション事業部オーナーコンサルティング課に所属し、入居者様の対応やオーナー様の物件の維持管理、付加価値の提案などを行っています。
先日北海道の妻の祖母の実家へ1年ぶりに行ってきました。
1年前はつかまり立ちがやっとだった孫が走り回っている姿を見て、
ご両親は驚きつつも嬉しそうな笑顔を見せていました。