沖縄の片田舎のホテルで学んだ「血の通った仕事」の真意
2025/02/13
沖縄でサーフィンを楽しむS・Yさん
「今から飲みに行くぞ!」
5年前まで、わたしが働いていた沖縄の片田舎のホテルでは、
プライベートも仕事も一緒くた。
自分の部屋でゆっくりしていると、上司や仲間から
突然飲みに誘われることも日常茶飯事でした。
東京生まれ東京育ちのわたしには、
沖縄の方言、食べ物だけでなく、
こういった距離感すら、カルチャーショックだったのです。
ただ、2年、3年と年数を重ねるうちに、
自分自身も沖縄訛りがしっかりうつるくらいに、染まっていました。
沖縄の環境や仕事にも慣れ、楽しく働いていた矢先、
2020年の2月頃、新型コロナウイルスが大流行。
沖縄では、突如飛行機は欠航となり、
島への出入りができない完全封鎖の状態となりました。
沖縄の片田舎のホテルにもあっという間にコロナの波が押し寄せました。
どんどん売り上げが下がり、予約もまったく入らない...
わたしの所属する人事部では、すぐに大混乱が起こりました。
日々の売り上げと人件費の確認、減少する来客数に伴うシフト体制の切り替え、
どのレストランを動かし、どこを閉めるべきか判断を迫られるとともに、
約350名の給与をどうにか捻出しなければなりません。
事態は深刻で、派遣やパート・アルバイトの仲間の人員整理にまで及びました。
なかには、日頃から仲良くしていた仲間にも
悲しい通達をしなければならなかったのです。
自分が頑張ることで、悲しむ人を生み出す仕事は初めてでした。
それでも、「悲しんでいてもしょうがない。」
「コロナが落ちついたら、必ずみんなを呼び戻そう。」
その一心で、別れる仲間には誠意ある説明をし、
助成金の活用についてはもちろんのこと、寮に住んでいる仲間には
部屋探しの手伝いをする等、できるだけのアフターフォローにあたりました。
その後、政府のGo Toトラベルの取り組みもあり、
ホテルの稼働が上がり、人員が必要になってきた7月頃。
「戻ってこないか」
たくさん呼びかけて、仲間をできる限り呼び戻すことができたのです。
少しずつ、沖縄の観光地や、私たちのホテルに人が戻ってきて、
お客様の顔が見られること、そして何より仲間と一緒に働けることが、
心からうれしかったです。
今振り返っても、相手のことを真剣に考え、適切な対応をするという
"血の通った仕事"だったと実感しています。
家庭の事情もあり、完全に回復するまでは居られず、
退職することになってしまったのですが、
久しぶりに遊びにいくとあの頃の仲間や上司は変わらない笑顔で迎えてくれました。
また、誕生日のお祝いや近況報告のメッセージが届くこともあり、
関係性は今も続いています。
職場や地域を離れてもなお、このようにつながることができているのも、
あの時、目の前の人のために一生懸命に誠意をもって向き合い、
大きな壁を乗り越えることができたからだと感じています。
仕事は常に改良しながらも、愚直に、まめまめしく、
しっかりと血の通った仕事をしていきたいです。
日本財託 人事総務部 S・Y
◆ スタッフプロフィール ◆
東京都杉並区出身の37歳。
人事総務部に所属し、主に社員の労務管理や人事制度の設計運用などを行っています。
最近温泉の気持ちよさがやっとわかるようになってきて、
おいしい食べ物と温泉を追い求めた弾丸旅行にハマっています。