忘れられない一言
2021/09/30
A・Fさんとボランティア先の子供たちからの手紙
私には忘れられない言葉があります。
高校2年生の時、母親の勧めもありフィリピンで暮らす貧困の子どもたちへの
支援や交流を行う青年ボランティアに参加しました。
それまで海外ボランティアは多少興味があったものの、
本格的に参加したことはありませんでした。
そのため、貧困といっても、狭い家に住んでいて、
あまり贅沢はできないくらいの暮らしかな、程度に考えていたのです。
しかし、現地へ行くとその想像は見事に裏切られました。
フィリピンの首都マニラの中心部からバスに乗りほどなくしてたどり着いたのは、
ゴミの山に隣接したスラム街。
降り立った途端、腐ったような酸っぱい臭いが鼻にまとわりついてきました。
舗装のされていない路地の両端には木の板とトタン、ビニールなどの廃材を
組み合わせてつくった家が立ち並び、道行く人には常にハエが群がっています。
(こんなところで生活している人がいるのか...。)
日本とのあまりの違いに絶句したのを覚えています。
その後、貧困地域の学校を中心に1週間程度、支援物資の配布をしたり、
子どもたちと触れあったりして過ごしました。
そんな生活の中で一番印象に残っているのは、
バス停近くで小さな子どもを抱きかかえてたたずむ母親の姿です。
その母親は私たちを見ると、無言で手を差し出してきました。
最初何をしているのかわかりませんでしたが、
同行していたボランティア団体の職員が言うにはいわゆる物乞いだということ。
「何かあげてもいいし、あげなくてもいいよ。自分で考えて」
と言われました。
私はどうしてよいか分からず、結局何も渡さないままバスに乗り込んでしまいました。
バスに乗ってからも何を言うわけでもなく無表情でじっとこちらを見る母親。
その何とも言えない目が忘れられませんでした。
(どうするのが正しかったのだろう...。)
そんな気持ちを抱えたままボランティアの終盤
マザーテレサが設立した施設「死を待つ人の家」を訪れました。
施設を一通り見て回った後、彼らを世話するシスターの一人の話を聞ことに。
そのシスターは
「親切は隣の人や家族や友人、まずは身近な人たちへ。それが大海の一滴になる。」
とおっしゃっていました。
その言葉がそれまでのモヤモヤとしていた心にすっと染み渡り、
とても感動したのを覚えています。
目の前の人に対して、自分ができることがあるならば迷わず行動しよう。
自分のなかの考え方が変わった瞬間でした。
今、仕事では主に事務作業を担当しており、
社内から様々な依頼や相談を受ける立場にあります。
その際はたとえ自分の担当する仕事ではなかったとしても
声を掛けてくれた人のためになるよう、全力で事にあたるようにしています。
今後もどんな時も今、自分ができることを精一杯取り組んでいこうと思います。
日本財託管理サービス 管理受託部 A・F
◆ スタッフプロフィール ◆
北海道札幌市出身。
管理受託部に所属し、主に物件の売却の際、オーナー様の名義変更や管理の引き継ぎなどを行っています。
最近、海老名サービスエリアのメロンパンを食べてその味に感動。最寄りのパン屋や
スーパーで美味しそうなメロンパンを探す日々です。