女子ひとりのサッカークラブで学んだ忍耐力と感謝の気持ち
2021/11/04
ミルクをあげるY・Yさん
世界を舞台に活躍した『なでしこジャパン』の影響もあり、
今でこそ身近な存在となった女子サッカー。
私は父がサッカーのコーチで、5歳上の兄がサッカーを習っていたこともあり、
保育園の年長から小学6年生までサッカーを習っていました。
サッカークラブで女の子は私ひとりでしたが、小学2~3年生くらいまでは、
男の子たちに交じって無邪気にボールを追いかけて楽しんでいました。
ただ思春期に入り始めると、「女子とパス練習したくない」と、
次第に同い年の男の子たちからは距離を置かれるようになったのです。
学校の友人たちは、土日に遊んだりしていましたが、
その姿を横目に私はサッカーの練習に通う日々。
今でも当時のことが夢に出てきて
「今日、サッカーの練習か...」と憂鬱な気持ちになることもあります。
父がコーチという手前、「辞めたい」とは言えませんでした。
それでも、小学6年生までやり切り卒団できたのは、
家族やコーチの方々のおかげでした。
試合にはなかなか出られなかったとしても、
母は毎回応援に駆けつけてくれました。
またコーチの方々も「ゆうちゃん」と親しみを込めて、
名前で呼んでくれました。
そのおかげもあって、逆境の環境で孤立しそうになりながらも
最後までやり切ることができたと思っています。
なによりも周囲の方への感謝を学ぶことができました。
中学や高校に進学してからは、クラスで孤立しがちな子を見かけたら、
声をかけ一緒に過ごすようにしていました。
私自身、サッカークラブで
周囲の方から声をかけてもらえたことで救われました。
その子たちにとって、本当の助けとなったかどうかはわかりませんが、
少しでも力になれればと続けました。
新卒で入社した結婚式場では、厳しい上下関係のなか、
週末にもなると朝6時半から23時まで休憩なしで働き続けることもよくありました。
そんな環境の中でも、6年間働き続け
新しい環境へステップアップしてこられたことは、過去の経験とともに、
一緒に働いてきた方々のサポートのおかげだと感じています。
現在は日本財託で生命保険のご案内をしていますが、
なかなかお客様のご要望にお応えしきれないこともあります。
それでも試行錯誤しながら、より良いプランを模索することで、
たとえその時には実を結ばなかったとしても、
別のお客様へのプランニングにつながることもあれば、
ひいては未来の自分につながると信じています。
仕事はひとりでは難しいことも多々あるからこそ、
周囲の方々への感謝を忘れずに、困っている方がいれば手を差し伸べ、
困難なことからも目を背けずに頑張っていきたいと思います。
日本財託 保険事業部生命保険事業部 Y・Y
◆ スタッフプロフィール ◆
埼玉県入間市出身
生命保険事業部に所属し、お客様のライフプランニング・保険の見直しやご提案を行っています。
趣味は登山です。
汗をかいた後のお風呂からのビールは最高です!
緊急事態宣言が解除となったので、紅葉を見に行ってこようと思います!