三味線を通じ受け継いだ母の教え
2022/11/10
お母様(右)と演奏会を楽しまれるS・Yさん
振り返ると、私はいつも母の背中を追っていたように思います。
母は仕事でも趣味でも全力投球です。
結婚後、28歳の時にパートの事務職として入社した不動産会社では、
実力を買われ営業職の正社員に抜擢され、売り上げは社内トップを維持。
趣味の三味線でも道を究め、家元となりお弟子さんを抱え
高齢となったいまでも現役で活躍しています。
母はいつも忙しそうではありましたが、
普段から真剣だからこそ得られる楽しさがあるのだと教わりました。
その最たるものが三味線です。
母の影響で5歳から高校2年までの10年あまり、
三味線を習っていました。
普段は優しい母ですが、お稽古ではとても厳しいものでした。
平日は平均して2時間程度、休日となるとより長くお稽古の時間を決められ、
礼儀作法など厳しく躾けられたように思います。
また、幼少期から習いはじめていたこともあり、同年代よりも演奏が上手く、
周りの大人たちによく褒められていました。
そんなときは決まって
「人に褒められているときは危険信号と思いなさい」
と厳しい言葉が飛びます。
毎日のハードな練習と堅苦しい心構え。
子供だった当時の私は、何度も辞めたいと思っていたのを覚えています。
ただ、小学校高学年、中学校と年齢を重ねるにつれ、
ネガティブな思いに変化を感じるようになりました。
私が師事していた先生のもとでは定期的に演奏会があり、
歌い手や太鼓、尺八などのパートの人とともに出演していました。
私は人一倍緊張する質で、本番前は不安でガチガチです。
そんなとき、決まって母は
「この日のために頑張ってきたんだから。力を抜いて、楽しんできなさい」
といって、お稽古時とは打って変わって優しく送り出してくれるのです。
最初はあまりピンときていませんでしたが、
出演数を重ねるにつれあれだけ苦手だったステージも、
終演時にはやってよかったというすがすがしい達成感に包まれ、
いつしか「楽しさ」がわかるようになってきました。
また、演奏会とは別に年に数回、地元の老人ホームへ
慰問コンサートに行くことがありました。
その際には、入所者のお年寄りたちは手を振ってくれたり、
拍手をしてくれたりして、満面の笑みを浮かべてくれます。
その姿に涙腺が緩みそうになるほど感動し、
もっともっとうまくなりたい、と決意を新たにしていました。
こうした充実感は、中途半端にお稽古に取り組むだけでは
決して得られなかったと思います。
『何事にも真剣であることで、自分の人生を何倍にも豊かにすることができる』
三味線を通じて、母から受け継ぐことができた気がします。
転職を経て母と同じ不動産業界に入り12年。
仕事でもプライベートでも尊敬する母のようになりたいと思いながらも
まだまだ追いつかずといった感じです。
母からもらった「教え」を胸に、少しずつですが恩返しも続けていきたいと思います。
日本財託管理サービス 管理部管理課 S・Y
◆ スタッフプロフィール ◆
千葉県鴨川市出身。
管理部管理課に所属し、主に入居者・オーナー様からのお困りごと対応や、修繕に係る事務処理などを行っています。
4年前から母に誘われ再び演奏会の舞台に立つように。練習のためまめに実家に顔を出し、練習に励んでいます。