父と2人の箱根駅伝
2022/12/15
今月エントリーしたマラソン大会のスタート前のS・Yさん(左)と箱根駅伝を目指し練習する当時のS・Yさん(右)
「箱根駅伝に出場して、みんなを喜ばせたい。」
これは小学校の卒業文集に書いた、私の将来の夢です。
箱根駅伝を目指し始めたきっかけは、2つあります。
まず家族が大の箱根駅伝好きの一家であること。
新年は必ず家族揃って食い入るように観戦していました。
ふたつ目は、父親です。
学生時代の父は、箱根駅伝出場を目指していました。
しかし高校時代に足を怪我してしまい、競技を続けられなかったのです。
箱根駅伝は父親が叶えることのできなかった夢でもあり、
「自分が走ればきっとみんな喜んでくれる」と強く思ったからです。
しかし、そんな私に父は喜んでくれると思いきや、
どこか心配そうな、微妙な表情をしていたのです。
箱根駅伝は目指したら走れるというものではありません。
その扉はあまりにも狭く、厳しく、残酷なものだと
父自身が体験しているからこその表情でした。
努力が実を結び、箱根駅伝で優勝経験もある大学からスカウトをいただいたことを家族に伝えると、
「箱根の宿今から取らなきゃ!」「親戚に報告しに行こう!」と
あたかも自分が走るかのように喜んでくれました。
とはいえ、やっとスタートラインに立てたところ。
全国各地からスカウトされた総勢70名ほどの部員と生活を共にし、
レギュラーの座をかけて切磋琢磨します。
毎朝5時に起床、早朝の練習をこなし、
授業を受け終えた後も20時まで練習が続きます。
このような生活が365日続く日々に
正直心が折れそうになることも多々ありました。
それでも自分が箱根駅伝に出場して家族が喜ぶ姿を想像すると、
自然と力が湧いて走り続けました。
しかし最後まで、私の名前が箱根駅伝の出走者として
名前を連ねることはありませんでした。
大学4年間努力は報われず、
12年間追い続けた「箱根駅伝に出場する。」という夢はかないませんでした。
(がっかりさせてしまったんだろうな)
引退して実家のある愛知県に戻ると、家族は暖かく迎えてくれました。
「ごめん、箱根出られなかった」と父に申し訳なさそうに伝えると、
『よし、箱根の5区を走りに行くぞ!』
そういうと準備を始めて、次の休みには2人で箱根へ向かったのです。
道中、車の中では「旅行がてらだ」と話した父。
ただ5区のスタート地点に到着して芦ノ湖に向かって走り始めると、様子は一変。
後ろから車で追いかけながら、
「大丈夫だ!いけるぞ!」と監督さながら、熱のある声をかけてくれます。
苦しい時も父の声に背中を押されて、
2人だけの箱根駅伝を完走することができました。
走り終えた私を迎えてくれた父は、嬉しそうな笑みを浮かべていました。
"誰かを喜ばせるために頑張りたい"
その気持ちは、今も昔も私の原動力になっています。
現在は日本財託のカスタマーサクセス担当として、
オーナー様に喜んでいただけるような情報の発信や、企画運営を担当しております。
これからもオーナー様の目指すべきビジョンへ導けるよう、業務に励んでいきます。
日本財託 インサイドセールス部CSチーム S・Y
◆ スタッフプロフィール ◆
愛知県豊田市の24歳。
インサイドセールス部CSチームで、オーナー様にお役立ち情報の発信やイベント運営を担当しています。
今月も地元のマラソン大会に出場するなど、今でも毎月いろんな地域のマラソン大会に参加しています。
来年はフルマラソンで2時間半を切ることが目標です。
またマラソン大会の景品も楽しみのひとつで、今年出走したある大会では大きな梨を4個ゲットしました。